歴史観の変遷

 国民が、どのような「歴史観」を持つかで、国民の理念(基本的ものの考え方)が、
根本的に異なってくる。
 そのため、まず戦後日本の「歴史観」の変遷について話を進める。

戦後日本、「歴史観」の変遷

 敗戦の時、筆者は国民学校(小学校)の三年生であった。
 そこで子供ながら、世紀の大逆転劇を見た。

 【歴史観・価値観のすべてが大逆転】したのである。
 子供たちの「大きくなったら兵隊さんになる夢」が完全に否定されたのである。
 国民は、この敗戦のショックがあまりにも大き過ぎたため、以来70年以上経過しても、まだ【大逆転した歴史観・価値観】そのままの人がまだ大勢いる。
 【大逆転した歴史観・価値観】とは、日本国民が「正義の戦(いくさ)」と信じていた「大東亜戦争」が、「太平洋戦争」と名前が変わり「侵略戦争」になり、日本は「侵略国家・悪の国・悪の軍隊」と国民総洗脳させられた。
 この国民総洗脳教育は、マッカーサー元帥指揮下のGHQの指導もさることもさながら、実態は「日本人による、アメリカのため」「国民総洗脳教育」だったのである。

 すなわちGHQは、「最も強力な左翼・反日家」を「朝日・毎日・東京新聞・NHK」に送り込み、彼らに「徹底した反日教育」を報道させたのである。
注:GHQには、当時共産主事者も多くいた。そのとき上記3紙およびNHKが、如何に「凄まじい左翼・反日  報道」をしてきたか、現在でもその気になれば検証できる。

 GHQが3紙に送り込んだ「最強力な反日家」が重役になり、そして教育した社員が、現在社内の中心であるために、今なお「上記3紙は一般国民の感性より、一段上の左翼反日色」を堅持している。
 なおNHKは、公共放送ということで、「強力な反日報道」は、出来なくなったが、「真正面からの反日」でなく、「巧みに反日・反戦報道」を今なお繰り返しているようである。
 「東京裁判」では、敗戦国日本には「戦争犯罪人」が多数存在するのに対し、戦勝国からは「戦争犯罪人」が一人も存在しなかった。これが「公正な裁判」とは、とても思えない。

  「新ゲーム理論」は、戦前・戦後の「正義の根源」と言うべき
 【鬼畜米英!】(鬼畜ならば、これと戦い倒すことが正義になる)および
 【日本は侵略国家・軍が悪!】(上記同様)
 双方否定する。
  「バランス感覚を重視する新ゲーム理論」は、「バランス感覚が欠如」し「公正な見方が欠如」した「敗戦国史観・敗戦国根性」を否定せざるを得ない。


 日本が独立国である以上、敗戦国根性を否定すれば、残るは、独立国精神しかない。
 注:「精神」「根性」も同じような言葉であるが、「根性」は良い意味でも悪い意味でも使われるが、   「精神」は「良い意味でのみ」で使われる。故に「敗戦国精神」などありえない。


 【敗戦国根性】【独立国精神】のいずれで主張するかで正義の方向性が正反対】になる。
 独立国において、敗戦国根性など所詮、消滅する運命にある。
 ただし、「敗戦国根性 断末魔の抵抗」には、凄まじいものがある。

 

 ここで【独立国精神】とは、【侵略しない・侵略させない】という【精神と対策】を持つことである。
 一方【敗戦国根性】とは【日本が中国を侵略しない】ことが絶対で、侵略させないという精神も対策もない 根性のことである。  

 新ゲーム理論研究家・井沢開理は、この日本人の【敗戦国根性】【全治百年の精神的障害】と診断する(少し見立てが甘過ぎたかな?)。

  敗戦の 傷あと深き 悪夢かな
      目覚める時は 百年(ももとせ)先か

 【敗戦国根性】を捨てて【独立国精神】を持ってこそ、日本は【真の独立国家】と言えるであろう。

 敗け心 矛盾(ほこたて)なしで 策もなし
     矛ある国に 我は盾なし

あなたはどのような「歴史観」を持っていますか?

 この質問に対し、「さて?」と考える人が多く、明確に答えられる人は少ないと思われる。
 そこで「歴史観」を大きく分ければ、「皇国史観」「唯物史観」「敗戦国史観」(占領軍史観、東京裁判史観、自虐史観等の呼び名があり、「戦後の史観」すべて含む)があり(以下これを「3大史観」と呼ぶ)、そして新たな「新史観」の必要性が痛感される。

 「皇国史観」は、神話から始まり、「皇室および国に尽くした人を中心の歴史」であり、「国のために尽くす人を育成する」ための「史観」である。
 「唯物史観」は、「共産党(マルクス)の史観」であって、神を否定し、歴史は原始共産社会から始まり、以後「施政者は大衆から搾取する歴史」であり(大衆はそれに反抗する歴史の連続であり)、原始共産社会 → 封建社会 → 資本主義社会 → 社会主義社会→「共産主義社会」が実現するのは、誰も止められない「歴史の必然」であり、それが「人類最終目的」であるという「史観」である。
 「敗戦国史観」は、本来「占領軍の史観」であったが東京裁判で決定づけられた。その後、その思想を受け継いだ日本人による「反日感情」「反皇国史観」の方が強く、2度と「日本から戦争を起こさせない」のが「平和への道」という「史観」である。

 さてここで「新史観」というべきものは、まだ日本で確立されていない。
 そこで筆者が「新ゲーム理論」の立場から、提案するのがこの「独立国史観」である。
 この「独立国史観」、この名前を広く国民が知ることだけでも、日本の「平和と安全」に大きく貢献できるであろう。

 「独立国史観」のポイントは、前にも述べたが「侵略しない・侵略させない」という「精神と対策」および「平和4原則」を持つつ歴史観であり、「GHQが作成した敗戦国史観憲法を否定する史観」である。

 なお筆者が中学生の時、歴史教科書は「原始共産社会」から始まっていた。これは明らかに「唯物史観」が主体の教科書と思われる。団塊の世代人は、この「唯物史観」「敗戦国史観」の色彩の濃い教科書で学んだものと思われる。
 この教科書で学んだそのままの人がいる半面、「新たな史観を持つ人」が、日一日と増えていきつつある。

 なお17~20世紀世界は、「帝国主義時代」とも云われいわれ【国家エゴ】そして「実力主義」の時代であった。
 「新ゲーム理論」は公正な見方から、「日清戦争」「日露戦争」「日米戦争」(太平洋戦争、大東亜戦争)について、両国の「国家利益」が激突したものと見て、「どちらが悪とも正義」]ともキメツケない。 
 筆者の提案する「侵略しない・侵略させない」「平和4原則」は、すべての国に適用できる。
 新しい「日中共同宣言」でも、相互に「侵略しない・侵略させない」と宣言すれば如何であろうか?
 しかるに現在なお日本人は、「戦後の心理状態にある人」がまだ多く存在する。
 所詮「敗戦国史観」(敗戦国根性)など独立国においては消滅する運命にあるが、「敗戦国史観」(団塊の世代)最後の抵抗には侮りがたいものがある。
 
 時の政府は、国民の反対がどうあろうと国家として「やらねばならること」を「やらなければならない秋(とき)」がある。
 例えば、反対の声がいかに大きくとも「自衛隊設立」「日米安保条約改定(60年安保)」「秘密保護法」等は、国家として「やらねばならない事項」であった。現在、検証すべきである。
 
 日本人が「何史観を持つか」で、国家国民の運命が定まるであろう。

歴史観 正邪の基準 ここにあり
    史観によりて 正邪逆転