「日米戦争(大東亜戦争、太平洋戦争)が何故勃発したのか?」、あなたは説明できますか?
「に米戦争の新の原因」を知らずして、次の平和を語れない。
「日米戦争」には、「遠因と近因」がある。そこで「日米戦争の遠因」には、「日露戦争後の日本の国家戦略の誤り」にまで、遡(さかのぼ)る必要がある。
※ 日露講和条約
日露両国共に大変不満な講和条約であったが、日本は、「樺太の南半分」と「南満州鉄道の設置権」を手に入れた。
この講和条約内容、全権大使小村寿太郎外務大臣を始め、日本国民全体が大なる不満な講和内容であった。
当然日本は「多額の賠償金」と「樺太全土の領土要求」をしたであろう。
一方ロシアは「対等講和」を主張し、決裂した場合には、陸軍の大部分が健在であることを理由に、
「戦争継続」まで主張した。
実はこの主張、実はロシアのハッタリ(ウソ)である。当時のロシアは、国内の革命機運の盛り上がり、国家予算の欠乏により、戦争など続けられる状態でなかった。
一方日本も、将校・兵士および武器弾薬を使い果たし、とても戦争など続けられる状態でなかった。
要するに外交交渉など「狐と狸の化かし合い」の世界である。
互いに「表面的な言葉」に、騙されてはならない。
一方米国は、「日本寄り」であったことは間違いないが、仲介役として「纏める必要性」があった。
日本、ロシアともに「大なる不満の講和内容」であったが、双方「この調停案を呑む」しか、仕方なかったのである。
一方では、この講和条約の内容により、米国の鉄道王ハリマンが日本にやってきて、「南満州鉄道の共同経営」を申し込んできた。
ハリマンには、さらに「世界一周鉄道」という構想を持っていた。
時の首相桂太郎は、これは「日本のためにもなる」と読んで「桂・ハリマン協定」を締結した。
その後(何故か?)「桂・ハリマン協定」は破棄された(破棄理由は後ほど説明する)、
仮に、「桂・ハリマン協定」がそのまま継続させていれば(交渉次第であるが)、利益と管理は日米半々、鉄道保安は日本が受け持つことになるだろう(いずれにしても、「日米友好関係」が実現する)。
更に世界一周鉄道のためには、シベリア鉄道とも連携する必要が生じ、ロシアとも仲良くくしなければならない。そうすれば、日本は「第2次日露戦争」の危機も脱することが出来、軍事費も大幅に削減できる。
更にシベリア鉄道がポーランドを経由して、パリーまで届けば、「第一次世界大戦まで防げた」かも知れない。 「桂・ハリマン協定」の「プラス・マイナス」を公正に判断すれば、
「マイナス <<< プラス」と判断できた筈である。
要するに「桂・ハリマン協定」が、そのまま実行されておれば…
「日米対立」「日米戦争」など、生じる余地すらなかったのである。
すなわち、「新ゲーム理論」で、「プラス・マイナス」を正しく判断できておれば、
「大きな誤りはない」という教訓である。
それでは何故「桂・ハリマン協定」が、破棄されたのだろうか?
それは、「小村寿太郎外務大臣一人が絶対反対!」を主張したからである。
日露戦争後の「南満州鉄道の共同経営」、「受入れor拒否」、この二つの国家的大選択肢が、桂太郎首相と小村寿太郎外務大臣、二人だけの激論により「国家的大選択肢」が決定された。
諸般の事情から「受入れ」を説明し説得しようとする桂首相に対し、感情的に、あるいは別に国策を持っていた「小村外相の絶対反対!」の激論では、勝敗は明らかであった。
なお当時、法的には首相と外相の間に上下関係はなく対等の立場であり、過去の実績では、小村外相の方が上であった。ついに「桂・ハリマン協定」は破棄されたのは、必然の流れであった。
※ 小村寿太郎の満州国家戦略
「対等講和を主張していたロシア」に対し、小村外相が、ロシアに敗北を認めさせ、「樺太半分」「南満州鉄道の設置権を確保する」ことすら、「大変な努力を要したであろう」と想像される。
この「南満州鉄道の設置権」、それは多くの「将兵の血」および、「自分の努力により確保したもの」を半分(いや丸々)米国に持っていかれるなど、耐え難いものであっただろう。
俗説によれば、もし「南満州鉄道の設置権を米国に渡すなら、自分は腹を切ってみせる」まで言い切ったと言われている。
「南満州鉄道の共同経営拒否」にも、「小村外相独自の国家戦略」があった。
まず南満州鉄道株式会社を設立し、「満州地域の利権をほぼ日本一国で独占状態」にした。それには、多くの資金も必要になるが、それらをすべて小村外相はやり遂げた。この利権を更に拡大しようと努めたのが、次代の人たちである。これにより満州地域は、日本国の経済を支える大基盤となった。ここまでは日本の利点ばかりである。
一方、それらを米国の立場から見てみよう。
「日露戦争講和斡旋」にも、「米国なりの狙い」があった。
それは中国大陸への進出に一歩遅れた米国の「中国大陸進出への手がかり」である。
実は、「満州鉄道共同経営 → 世界一周鉄道」にも、別の狙いもある。
それは「満州地域の日米共同経営」である。
「そうはさせじ(日本一国で満州を経営すべきである)」と考えたのが、小村外相だったのではなかろうか?
小村外相は、日本国のため、多大の貢献をした人である(別名、小さな巨人)。
小村外相は、「日米戦争の遠因」を作った人である。
この「大き過ぎるプラス」「大きすぎるマイナス」どう評価すべきかか?
簡単に結論は出せない(以下、略)。
ただ教訓として、「自国の利益のみを優先させてはならない」という教訓になる。
ここで「日米戦争の遠因」を述べたが、次に「日米戦争の近因」について述べたい。
注:「日米戦争の遠因」について記述している書物を私は知らない。
東京裁判では、日米戦争の原因を「満州事変」にまで遡ったようであるが、このように「日露戦争後の日本の国家戦略の誤り」にまで言及しないと「日米戦争の真の原因」を解明できない。
以後の教訓にならない。